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作成日 10月 6, 2010 at 2:37 pm
羅州は韓国で初めて市の立った故郷として有名です。朝鮮世宗のとき、現在5日市と呼ばれる市が羅州で始まったという記録があります。栄山浦を通して湖南の集産物などが羅州の市場に押し寄せ、物と一緒に人々も常にごった返していたといいます。人でごった返す市場では値段が安く量の多い庶民的な料理が人気があるというもの。しかし、羅州の市場では豚の腸詰めスープや酔い覚ましスープの代わりに、比較的値段の高い牛骨スープが人気がありました。周辺に広い穀倉地帯のある稲作の中心地であったため、牛骨スープの材料となる牛がさほど珍しくなく、近くに役所があり、余裕のある町の役人たちが牛骨スープを好んで食べたためです。 煮出した牛骨にご飯をかけると牛骨スープになります。貧しい時代にも肉や牛の内臓などをたっぷり入れて出される市場の人情は、羅州式牛骨スープの人気に繋がり、これが羅州市場を訪れる商人たちのうわさとなり、全国的に広まりました。羅州式牛骨スープは全羅道の牛骨スープを代表する料理となり、現在では羅州に限らずその「看板」を掲げて商売をする食堂も珍しくありません。 しかし、やはり料理は「元祖のお店」で食べるのが味わいがあるというもの。現在も昔の味を引き継ぐ牛骨スープの味を求めて遠くから人々が訪れます。羅州式牛骨スープは牛骨と肉だけで味を付けますが、ポイントは「澄んだスープ」です。牛骨をじっくりと煮て白く染み出たスープにばらやすね、ネックなどを入れて再び煮るとスープが次第に澄んでくると同時に味が一層深くなります。 他の郷土料理 ガンギエイの刺身 栄山江が塞がれる前、羅州には黒山島からカンギエイを積んだ船が着いていました。そのおかげで、醗酵させたカンギエイの本場となった羅州は、カンギエイを扱う魚屋がたくさんありました。最近になり魚屋は衰退しましたが、現在も「カンギエイ通り」にはカンギエイ専門食堂が残っており、羅州カンギエイの脈を継いでいます。 周辺観光地 多宝寺 春になると桜が雪のように舞う桜通りが有名な寺。日帝時代に仏教が弾圧されたときも僧たちはここで韓国仏教の脈を継いだとされています。入り口に建てられた金剛門や高さ11.5メートルの掛け軸、大雄殿のコッサル門(桟に花模様の刻まれた門)などは一見の価値があります。 羅州市景賢洞629 061-334-4201 地元のおすすめ店 • 羅州コムタン(ハヤンチプ) 061-333-4292 • 羅州コムタン(ノアンチプ) 061-333-2053 • テッジャリ羅州コムタン 061-332-3377 • ハナ羅州コムタン ...
ガンギエイの刺身, 全羅南道, 年中, 牛骨スープ, 羅州
作成日 10月 4, 2010 at 2:16 pm
「今年も百姓たちの作物がよく育ち、生活が豊かになりますように」と、王が直々に種を蒔き畑を耕す姿は、百姓たちにとって胸が熱くなる光景だったに違いありません。毎年、朝鮮の王は先農壇で祭祀を行った後、自ら牛にまたがり、その後ろに家臣たちを従え、百姓たちが豊かな生活を営めるよう祈願しました。 先農壇の行事は、中国の神話の中で初めて農業の方法を伝えたとされる神農氏と后稷に対する祭祀であり、一年の豊作を祈願するためのものでした。このような席に国王と共に参席する栄光を手にした百姓は、祭祀の供え物として使われた牛肉を、文武百官と一緒に食べることができました。この際、より多くの百姓に牛肉を食べさせるために、肉を入れた釜に水をいっぱいに入れてスープを作りました。先農壇で作ったスープという意味で、これを「ソンノンタン(先農湯)」と呼んでいましたが、その味と経験が百姓の間で口伝されるうちに、「ソルロンタン」に変わりそのまま定着しました。 以後、農民たちは十分ではない肉の代わりに牛の頭や膝蓋骨、牛の脚などをゆで、そこに米を入れて煮込んで食べました。低価格で肉スープを食べられることから、ソルロンタン(牛骨スープ)に対する大衆からの人気は徐々に高まっていきました。 一方、先農祭は朝鮮の最後の王である純宗の時まで続いていましたが、1910年の韓日併合以降、日帝による民俗文化抹殺政策により中断を余儀なくされました。しかし、1979年から志を持った祭基洞の住民たちが「先農壇親睦会」を組織し、祖先のよい風習を復活させ再び祭祀を行っています。毎年4月に行われる先農祭では、昔の風俗に沿って、行事の後には人々にソルロンタンが振る舞われます。 他の郷土料理 朝鮮王朝の宮廷料理 朝鮮の太祖の時から守られてきた宮中の伝統料理は、進宴床、水刺床、高排料理、祭礼料理など、儀礼によって様々な料理があります。その中で、王の日常的な食事である水刺は、牛肉を薄切りにして煮たもの、チヂミ、刺身、ゆで卵、煮つけなど、12種類のおかずが用意されていました。現在、こうした料理は数々の宮中料理店で再現されています。 周辺観光地 先農壇 ソルロンタン誕生の地である先農壇は、朝鮮の太祖時代から祭祀を行っていた祭壇であり、東大門の外側の典農洞(現在の東大門区祭基洞)に位置する史跡です。先農壇を守るように周りを囲んでいる天然記念物のビャクシンに目を奪われずにはいられません。その樹齢は500年以上であると推定されています。 東大門区祭基洞 1158-1 地元のおすすめ店 • 里門ソルロンタン 02-733-6526 • イナムジャン 02-2267-4081 • ...
ソウル, 年中, 朝鮮王朝の宮廷料理, 牛骨スープ
作成日 10月 4, 2010 at 2:08 pm
烏山は、高麗時代に水原府に属していた頃から都城に侵入しようとする敵を防いでいた軍事的な要地でした。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時には、加藤義正とクォン・ユル将軍がここで対峙し、日本軍は、韓国軍が水の無いはげ山の城にいるのを見て、城壁の外で水を使い彼らを冷やかしました。これに対し、クォン将軍は水で馬を洗う真似をしました。これを見て、馬を洗うくらい水があるのなら、山城の中にも水があふれている(兵士に力がある)証だと判断した日本軍は、城を攻撃できないまま退きました。これを称えて、この場所に馬洗い場をつくり、兵器を置いて兵士を鍛えました。戦さが終わり、故郷に帰る兵士もいましたが、烏山に残って農業をしたり、家畜を育てたりする人も多くいました。 彼らが集まる際に、よく遊んだのがまさにユンノリでした。今も毎年邪気払い大会が開かれるほど、ユンノリは烏山の人たちの人気の遊びで、大会の開かれる日が近づくと、烏山の女たちは豆粥を炊き、泰安から持ってきた塩のかますから流れ出たにがりを注いで豆腐が固まるのを待ちました。 宴会の日、むしろを敷いて、ユンを投げる男衆の横でクッパを作る準備をしているとき、一緒に登場したのがまさに豆腐を利用した豆腐の寄せ鍋でした。チヂミを焼くようにふたをひっくり返して豆腐と野菜をのせ、クッパ用の肉スープを十分に注いで煮込みました。これに加えて人気があったのは、豆腐よりもおいしいという豆腐ウゴジでした。これは豆腐を固める時に温度の差によってできる薄い膜のことで、豆腐の感触とは異なり歯ごたえがあり、豆腐を作る家でしか味わうことのできない特別な料理だったそうな。今も昔の豆腐の寄せ鍋の味を引き継いでいる烏山の手作り豆腐店では、常連客が来ると寄せ鍋を煮て待つ間、豆腐ウゴジを出します。 他の郷土料理 牛骨スープ 朝鮮時代の先農祭から由来したソルロンタン(牛骨スープ)は、早くから大衆の料理でした。烏山市には、100年の歴史を持つ伝統市場があり、市場の商人と庶民はここでよくソルロンタンを食べました。 周辺観光地 水の香り樹木園 「水と木と人間の出会い」をテーマとした樹木園で、蔓茎園や有実樹園、松の木園などのテーマ公園から成っています。 烏山市水清洞 332-4 031-378-1261 地元のおすすめ店 • コンマダン 031-372-3334 • トゥブマウル 031-373-6111 烏山市は、ソウルと木浦をつなぐ国土と京釜線の貫通する交通の要地です。都市、工業地帯、農業地帯の発展をバランスよく図っている都市です。人口約15万人。 烏山郡庁 031-370-3114 www.osan.go.kr
京畿道, 年中, 手作り豆腐の寄せ鍋, 烏山, 牛骨スープ
韓国に始めてきた時すべての食べ物が私にとってどれもとても特別だっだ。 イタリアにいた時、今の夫と時々ミラノ市内にある韓国レストランに行っていたが、実際に韓国に住みながら韓国料理を食べることとは多少差があった。 ミラノで韓国料理を食べる時は食べ物を味わうというより、韓国料理に対する好奇心が大きかったし、韓国に住んでいる今は韓国料理を食べながらその味を感じることができるとでもいうだろうか? 正確に表現するには難しいがとにかく感じが変わったことは事実だ。 韓国料理を好奇心でない味を感じて暮らしている今、私が感じるのは、韓国の人々の刺激的な料理に対する自負心がすごいようだという事だ。 また、食べ物に対する韓国人の関心はイタリアの人に劣らないといえる。 その中私にとって最も新鮮で驚きが大きかった食べ物文化の中の一つが野菜包みの文化だ。 韓国にきてから、ポサム(蒸した豚肉を葉野菜で包んで食べる料理)の店、焼き肉屋、韓定食店など多様な飲食店に行った。 売っている食べ物の種類は違っても、どこへ行っても野菜と特別なソースが共に出てくるのをよく見かけることができた。 今はそれが‘サム(野菜包み)だな’と話すことができるが、当時にはどんな食べ物なのか、どのように食べるのか分からなかったので少し当惑した。多様で新鮮な野菜がテーブルいっぱい置かれている。 そばのテーブルを見ると皆フォークやナイフを使わないで手の上に野菜とともに色々なものをのせて簡単に食べる姿を見るのが珍しかった。 イタリアでは食卓で料理を野菜などで包んで食べる文化は存在しない。 だが、食卓に出てくる前にあらかじめ包まれて出てくるサムと似た種類の料理がある。 インボルティノ(involtino)という料理なのだが、薄切りの肉や野菜で具材を巻いて煮た料理だ。色々な食べ物を野菜にのせて、のせて包んで一口に食べるサム、初めに肉屋でサムを食べる人々を見て果たしてあのように大きいサムが口にみな入るだろうか? という考えさえしたサム。 小さいサンチュの中にニンニク、肉、ご飯などそれぞれ違った材料を個人の好みに合うように即興的に、それこそ自分が願い次第、何の法則なしで自由だということそれ自体で食べる韓国のサム。 韓国のサム文化は個人の好みにより多様に発見されて再創造されるようだ。 韓国に来てすでにほとんど3年が過ぎた今、韓国式食堂や家で三枚肉を食べる時、思わず合わせ味噌とサンチュを探すのを見れば,私もやはりいつのまにか韓国のサム文化に慣れたようだ。 色々な食べ物を一度に味わう感じ、3年前には事実想像できなかったが、今は自然で、当然に感じられる。 私にとって韓国のサム文化が私のことになるためには時間がその鍵であったようだ。 初めにはぎこちなかったが少しずつゆっくりサム文化に同化されて行くのを見れば、時間が私に韓国のサム文化に導いていないかという気がする。 韓国の友人らは私にこのように話した。 ‘韓国の多様なサム文化を感じたいなら、長い時間が必要だろう。’と 多くの韓国人らが韓国料理の優越性を通じて韓国料理の世界化を期待する。 からだに良いニンニクとネギをそれぞれ違った方式で料理の食材として使って、多様な薬味を通じて、数多い味を作り出す。 …
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