韓国に始めてきた時すべての食べ物が私にとってどれもとても特別だっだ。 イタリアにいた時、今の夫と時々ミラノ市内にある韓国レストランに行っていたが、実際に韓国に住みながら韓国料理を食べることとは多少差があった。 ミラノで韓国料理を食べる時は食べ物を味わうというより、韓国料理に対する好奇心が大きかったし、韓国に住んでいる今は韓国料理を食べながらその味を感じることができるとでもいうだろうか? 正確に表現するには難しいがとにかく感じが変わったことは事実だ。 韓国料理を好奇心でない味を感じて暮らしている今、私が感じるのは、韓国の人々の刺激的な料理に対する自負心がすごいようだという事だ。 また、食べ物に対する韓国人の関心はイタリアの人に劣らないといえる。 その中私にとって最も新鮮で驚きが大きかった食べ物文化の中の一つが野菜包みの文化だ。 韓国にきてから、ポサム(蒸した豚肉を葉野菜で包んで食べる料理)の店、焼き肉屋、韓定食店など多様な飲食店に行った。 売っている食べ物の種類は違っても、どこへ行っても野菜と特別なソースが共に出てくるのをよく見かけることができた。 今はそれが‘サム(野菜包み)だな’と話すことができるが、当時にはどんな食べ物なのか、どのように食べるのか分からなかったので少し当惑した。多様で新鮮な野菜がテーブルいっぱい置かれている。 そばのテーブルを見ると皆フォークやナイフを使わないで手の上に野菜とともに色々なものをのせて簡単に食べる姿を見るのが珍しかった。 イタリアでは食卓で料理を野菜などで包んで食べる文化は存在しない。 だが、食卓に出てくる前にあらかじめ包まれて出てくるサムと似た種類の料理がある。 インボルティノ(involtino)という料理なのだが、薄切りの肉や野菜で具材を巻いて煮た料理だ。色々な食べ物を野菜にのせて、のせて包んで一口に食べるサム、初めに肉屋でサムを食べる人々を見て果たしてあのように大きいサムが口にみな入るだろうか? という考えさえしたサム。 小さいサンチュの中にニンニク、肉、ご飯などそれぞれ違った材料を個人の好みに合うように即興的に、それこそ自分が願い次第、何の法則なしで自由だということそれ自体で食べる韓国のサム。 韓国のサム文化は個人の好みにより多様に発見されて再創造されるようだ。 韓国に来てすでにほとんど3年が過ぎた今、韓国式食堂や家で三枚肉を食べる時、思わず合わせ味噌とサンチュを探すのを見れば,私もやはりいつのまにか韓国のサム文化に慣れたようだ。 色々な食べ物を一度に味わう感じ、3年前には事実想像できなかったが、今は自然で、当然に感じられる。 私にとって韓国のサム文化が私のことになるためには時間がその鍵であったようだ。 初めにはぎこちなかったが少しずつゆっくりサム文化に同化されて行くのを見れば、時間が私に韓国のサム文化に導いていないかという気がする。 韓国の友人らは私にこのように話した。 ‘韓国の多様なサム文化を感じたいなら、長い時間が必要だろう。’と 多くの韓国人らが韓国料理の優越性を通じて韓国料理の世界化を期待する。 からだに良いニンニクとネギをそれぞれ違った方式で料理の食材として使って、多様な薬味を通じて、数多い味を作り出す。 …
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